JOURNAL

アンバサダー Dice(2)

2019.12.04

かなり時間が過ぎてしまいましたが、アンバサダーDice(ダイス)の完結編です。前回では、彼との出逢いから、サーフィンを始めたきっかけなどを綴ってきました。前編はコチラ。後編は、のめり込んでいったサーフィンに、導かれるように渡豪した経緯などをご紹介しましょう。

・どうしてオーストラリアだったの?

Dice: 大学卒業後、同級生たちが就職していく中で、その生き方に魅力を感じることが出来ずにいた自分はオーストラリアへのチケットだけを取り、サーフボードと必要最低限の荷物を携えて海を渡りました。漠然とサーフィン大国へ!と思い、ワーキングホリデービザがあるオーストラリアへと行くことにしたんです。日本にいた当時からわりと外国人と接する機会があったので、海外に行くことへの漠然とした興味はいつも持っていました。全く知り合いやコネクションもない状況でいきなり行ったのはやはり若さ故かもしれません。笑。住み込みで働くことも出来るレストランにて運よく仕事と住む場所を見つけ、そのファームでの作業も学ぶコトが出来ました。そのオーナー家族に出会い過ごしていく中で、徐々に現地に馴染んでいき、たくさんの人に出会い、渡豪から約2年後に、サーフィン業界での仕事の機会に恵まれたのです。そのオーナー家族に出会えなければ、今の僕はなかったかもしれません。オーストラリアの家族ですね!笑。サーフィン大国にて、その業界に携われた事と地元の会社に入れた事はとても嬉しかったのを、今でも覚えているし、忘れません。そこから、更にサーフィン漬けの生活へとシフトしていきました。働きながら、サーフィンのコトや専門用語など、今まで感じることの出来なかったサーフィンと英語漬けに日に日にのめり込んでいきました。気が付いたら、お客さんもスタッフもみんな自分を受け容れてくれてくれたのです。

・何時頃から絵を描き始めた?

Dice:オーストラリアは、オーガニックなどナチュラル思考が進んでいてエコに対する意識がとても高いんです。そんな国民性と文化的な一面を感じながら生活をしていく中で、自分がインスパイアされていくのが理解できました。それらの刺激を受けながら絵を自然と描き始めていったんです。それが2013年頃だと思います。最初のうちは自分が大事なアイテムであるサーフボードやスケートボードに描き始めました。それを見てくれた仲間たちが絶賛してくれて、そのうちに「オレの板にも描いてくれないか?」と依頼されるようになっていったんです。海や山、もちろんたくさんのビーチでサーフィンをすること、そしてヒッピーなカルチャーでも有名なByron Bayを初めとし、いろんなサーフコーストでのキャンプを経験することが出来たのも自分の中では重要なポイントだったと思います。それらから受ける刺激はとても素晴らしいモノ、コトで、その経験が自分のカラダを通して自分の描きたいモノとなっていきました。今でもその瞬間に感じたことは薄れることなく自分のアイデンティティの中に組み込まれ、常に自分と共にいますし、これからもずっと薄れることはないです。

今もDiceは、その刺激から得たモノをベースにして、日々感じるコトを描き続けています。それらはアクセサリーであったり、様々なアイテムへとカタチを変えて表現され続けているのです。そしてDiceから受けるその刺激は私達にもちろん響き、そして繋がれてアイデアとなっていきます。特にナチュラルな素材に関する造形の深さや考え方には共感することがとても多いのです。何が本当に必要なコト、モノなのか?深く考えさせられますね。柔らかなDiceの物腰、笑顔は周囲の人を集め穏やかな空間を作ります。その中に私達の創り出すモノがあって、さらに人と人を繋ぐコトが出来たら、それはとても素晴らしいことです。

Thank you Dice!

Keep in touch with you!

Peace!

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